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【 法恩寺の境内 】
明治3年の法恩寺絵図
【 本 堂 】
【 中門及び鐘楼 】
法恩寺は明治34年火災にあっていますが、中門及び鐘楼は客殿にある明治3年の法恩寺絵図によって焼け残ったものとみられ、法恩寺年譜によって
中門は正徳元年(1711)、鐘楼は享保6年(1721)の建立
となっていた事が明らかにされ、今から約二百六、七十年前の木造建築となっており、
越生町においては最古
のものです。
【 黒 門 】
【 阿彌陀堂 】
法恩寺年譜元禄12年(1699)に次の記事があります。「右大将源頼朝公之建立観音堂、火災を恐れて堂地を三十三間余移す也、この堂の本尊は上宮(聖徳)皇太子御正作の十一面観世音の立像也、16世秀弁の時、何日か化失して無くし、是非無く新仏彌陀如来を安置す、これより観音堂を呼ぶに彌陀堂と号すこと年久し」。
【 岩 壁 】
本堂の南に高さ4メートル程の切り立ったような岩壁があります。この岩壁は宝永4年(1707)殿堂を新築するに当たり切り崩したことが 年譜に記されております。すなわち、「宝永四年正月殿堂中門指図を作す、並南岸を切り創む」とあり、「宝永七年殿堂大工始、極月(12月)中に 至り細工並地形等出来す、岩畔の切り払い場所三間、三十一間也、工人数九千余、実に法力不思儀の所也」とあります。岩壁の切り崩し場は巾三間長さ三十一間とあり高さは約4メートル、足掛け4年、その労力は9千余人とあり、大工事の様子が偲ばれます。檀家の衆が交替で作業に当たったものでしょう。
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